<第七章 《窓辺で手紙を読む女》の調査と修復>
 

絵画展のメインディッシュのセクションです。

白い壁と思われていた背景にキューピットの絵が隠されていると分かってからの、調査、修復の様子がビデオで紹介されています。
顕微鏡を使って重ね塗りされた絵具を少しずつ剥いでいく作業は気が遠くなりそうです。
苦労してフェルメールが描いた本来の姿にしたのに、元の絵がよかったという言われちゃ立つ瀬がありません。
私も「余計なことしやがって」と思っていた一人です。
 

修復された原画はくすみが取れて、色彩も鮮やかに蘇っています。
肝心のキューピッドは思ったほど主張していません。
絵の主役は手紙に視線を落とす若い女性。
ベッドの上にかけられた赤い絨毯と果物、鑑賞者と若い女性のいる部屋を仕切るようにかけられた緑のカーテンと視線を動かした後、画中画のキューピットに気づく感じです。
映像で見たときは「キューピッド邪魔」と思っていましたが、実物を見るとこの絵はこの絵でよいかもしれません。
 
 

キューピッドは偽りの象徴である仮面を踏みつけています。
このキューピッドがいることで、女性が読んでいるのは恋文であること、恋人同士の未来が明るいことを示唆しているのだそうです。
 

キューピッドが現れる前の絵でも、女性が読んでいるのは恋人からの手紙だろうと推測はできます。
しかし表情がはっきりわからないので、うまく行っているカップルなのか、別れを告げる手紙なのか、道ならぬ相手からの手紙なのかは鑑賞者の想像に委ねるしかありません。

余白がある美を重んじる日本人には、塗り潰された余白こそがこの絵を美しくする大事な要因で、キューピッドの絵が蛇足に思えてしまうのではないでしょうか。
塗りつぶしたのは、当時高値で取引されていたレンブラント風に見せるためだろうと推測されています。
もしかすると、塗りつぶした作者(?)は、何も描かない方がより深い解釈になると考えたのかも?
海外ではこの修復をどのように評価しているのか知りたいです。
 

修復前、修復後、どちらも素晴らしい作品なことに間違いはありません。
もし、どちらか選べとなったら‥キューピットがいない方を選ぶかな。
苦労して修復作業をした皆さん、芸術のわからんおバカでごめんなさい。
 

六百円で音声解説の貸し出しもしていました。
それはいいんだけど、妙齢のマダムからの音漏れが酷くて。
どうしてイヤホン部分を耳に当てずに頬の脇にあてているんだ。
それで聞こえているのか?
聞こえていないから音のボリューム上げて音漏れしてるんだろうなぁ。
これがものすごく不快でした。

美術鑑賞の話、もう少し続きます。

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